ゆっくりでいい、かめさんで歩こう。

人生いろいろあるけどかめのペースでゆるくゆっくり生きていく備忘録。過去も未来も宝物!

時々つかうお部屋で。

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こんばんは、れいです。

今日は珍しく早起きしたんですね、昨日体調が悪かったので不安でしたが、すんなり起きれました。これはきっと雨降らなかったからですね。

幼少期から寒暖差や天気に心身の調子左右される体質です。風邪とか発熱ではないですけど、口唇ヘルペスや咳喘息、全身倦怠感+凝り(又は痛み)です。これまた地味に…いや、普通にしんどいです。心身の不調はどんな症状でもつらいですよね。

 

 

さてさて、本日の本題です。

そう、何故早起きしたかって?(あれ、いつだか書いたかしら?)

 

以前主治医に希望していた性格検査の日でして。

ちなみ母は同じ病院の違うCP(心理士)さんとカウンセリング。

 

外来の別館の個室行きまして使用予定の部屋が母の心理士さんと私の検査部屋の予約で被ってしまいCPさん同士で受付のパソコンで話し合い私の心理検査で使うことになり、母と「またねー」して、入室。

 

検査担当のCPさんと話していて準備し始めたと思って手元見たら

 

《 WAIS-Ⅳ 》

 

 

!!!???!?!?

(私の心の声)えっwwww WAIS?????wwww ちゃっかり知能検査オーダーしてたんだな、🐻Dr!!!!!

ちょっと動揺したけど、

「あー、WAIS-Ⅳが出ているの知っていたんですけど、この病院もⅢからWAIS-Ⅳになったんですね!ていうか今日WAIS(知能検査)もあるんですね(笑)性格検査だけかと思ってました(笑)」

あと、過去の心理検査の報告書で《諦めが早い》という評価されていたので「分からないものは分からないので早く諦めるもなにもないです、単純に分からないだけですw」

と言いながら、WAIS-Ⅳやりましたよー!予定外のこともそれなりに臨機応変に対応できるようになったとはいえ、自分の中で予想していなかったっていう意味での不意打ちの知能検査は疲れましたよ。さすがに疲れちゃう(笑)

この病院通院してから7年目ですが、2年おきに毎回やっているんです~(笑)今回で知能検査(WISC含め)4回目なんだけど、あと何回やるの…2年おきの定期テストなの?

 

幸いにも記憶力つまり作動記憶は一番苦手な分野なので項目項目の検査方法は覚えていても内容は勿論記憶にあるはずもなく、毎度新鮮ですよ。繰り返しやると作動記憶などが高い方は覚えてしまう方が多いらしいですけど、私はその真逆です。

 

まあ、そんなこんなで知能検査は終わりまして、やっと来ました、性格検査!

と思ったら、通院し始めの時に思い出せる範囲で様々な性格検査やっていたんで思い出したの話したら、予定していたのを変更したのか絵を描く検査1つになりました…

 

希望していた性格検査よりほぼ9割の時間が知能検査だったよォ!!!!!

 

でも、面白いよね、絵を描いて心理状態がわかるなんて。

いや、すごいと思う。

 

結果報告書のことで

私:パーセンタイルや信頼区分は病院の方針的に出せない感じですか?

CPさん:?????!?あ、いや、え、?まあ、出そうと思えば出せますし書けますよ!?

私:そうなんですねぇ~この病院は出せないのかと思ってました

CPさん:え、なんでそんなに心理検査に詳しいんですか?(笑)そこにこだわる人なかなかいないのでびっくりしました。

私:ここ数年、発達障害が啓発されて(中略)SNSで見たので気になったんです。いやいや(汗)こだわっているわけじゃないです(笑)疑問だっただけですよ。精神科関連のは調べたり本を読んで…ですかね。

CPさん:へぇ~自分のこと知ろうと…勉強家ですねぇ~

 

なかなかない質問だったらしく驚かれました(笑)そんなに驚かれるとは…(笑)

パーセンタイルや信頼区分を報告書に記載するかどうか聞かれましたが、お任せしました。別に出てたところでそんなに意味を成さないと思うので記載は重要視していないです、特に。

 

 

でも、楽しかったのでおっけい。

 

 

 

 

 

🌷余談:外来棟の検温担当は高校生の時からしばらくお世話になっていた病棟の救急病棟元科長さんでした。(今は別病棟の科長)金髪でメイクした私に驚いてました(笑)それもそのはず、その科長さんの前では地毛でノーメイクでしかあったことないので、「あぁ、もうお酒飲める歳になったんだねぇ。大人になったねぇ」と言われ「元気そうで安心したよ」と微笑んでいました。見た目は体格大きくて怖そうで近寄りがたい印象だけど、とーっても優しい科長さんです。保護室で身体拘束中に

・担当看護師は「明日来る」と言っておいて翌日残業で余裕なく疲れたのを理由に一言もなく退勤される(職員病棟出入口は私がいた保護室から見えるので勝手に退勤したのも目の前で目撃)

・普通の看護師はボタン押しても呼んでも来ない、(介護用呼び出しボタンが保護室の厚いドアで作動しないので)ボタン押したかどうか本気で疑われる

・来てもケア時間のみ(2時間おきや服薬時)物渡すかベルト調整や解除のみで話聞かない

・話しようと声かけようとして泣いていると「笑って」と言い、笑うと「良かった、元気になったね」言われる

・当時の主治医に気持ちを話そうとしたところで退室され強制的に診察終了

とまあ、こんなに絶望的かつどうしようもない環境で科長と主任(現.救急病棟科長)さんがわざわざ二人で病室に来て心配して話聞こうとしてくれたとても優しい看護師さんなんです。(しかし、この時は主治医も周りの看護師も話を聞いてくれず心閉ざしたので転換症状の失声症になったので話せず泣きながら首を振るしかできませんでした)

 

でも、私の病院は優しい職員さん多いですよ。どの病棟も職員同士がとても仲良いです。楽しそうであからさまなギスギスは患者目線的には無いのでそういう面ではとても精神衛生上良いです。ただ、病棟によって職員同士の仲良しの雰囲気(特色)が違うんですけどね(笑)

 

 

 

まあ、話の脱線しかしていないけど、楽しかった!!頑張った!!今日はたくさん寝る!!つもり。

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

れい

 

 

 

 

 

なりたいようになればいい

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こんにちは、れいです。

 

今日も大きなモップくんと小さなモップくんぬいぐるみを抱えながら、というのは嘘で横で見守ってもらいながらこれを書いています。

可愛い物や安心とか落ち着くものって大事ですからね。

 

 

今、youtubeで『しゅごキャラ』を流しながらこれを書いているのですが…。

私と同世代の人はドンピシャですよね、当時は学園アニメが盛んでしたね。

私は藤崎なでしこちゃんが好きでした。

あんな学生生活に憧れたりしながら、メンヘラと不登校拗らせていた私の学生生活でしたが、そんな個人的な私情は、追々でね。ちょっと横に一旦置いていきましょう。

 

しゅごキャラって振り返ると深い話だな、って。

バトルシーンは話が別ですが…

 

 

『なりたい自分』を模索するあむちゃん

『なりたいと思っている自分』のしゅごキャラたち

 

『なりたい自分』 ってよくよく考えればとーーっても難しいテーマですね。なかなかすぐに見つかることではないですよね。なんか道徳的な内容ですね。

私は今、家族や学校とか病院での友達や先生方、🐻Drなどの病院スタッフ、支援先や退所した作業所……紆余曲折あったけど今はこうして様々な人に支えられて愛されて、認めている人がたくさんいて少しずつポジティブに楽しく生きれています。

『なりたい自分』や『したいこと』『自分を認める/大切にする』もできるようになりました。

 

しゅごキャラたちはなりたい自分への可能性で信じてくれないと消えてしまう。

 

可能性を信じるって簡単なことじゃないけど、大切なことなのかな、なんて思う。でも実際は周りの環境や人や状況による。

 

周りに否定する人が多い、とか

居場所と思える、安心できる場所がない、とか

信頼できる人がいない、とか

人それぞれで色々な事情がありますよね。

 

心理学的に言えば恐らく「基本的信頼(安心)感」にあたるところでしょうか。

 

私も過去のいじめ経験や元主治医や担当PSWとのもめごと?すれ違いで人間不信に何度かなっていました。詳細は省略しますね、長くなるので。端的に言えば否定されたり、言っていること聞いてもらえなかったりが続いたり。悪いことしていないのに何故か逆ギレもあったり、時に理不尽なこともあり……

不信感とストレスが高まって我慢した結果、解離症状や転換症状が悪化したんですね、私の場合は。今の🐻Drの担当病棟になっても敵対心バッチバチの不信感から初めのころは病棟でうつむきフードマンになって不信感というかもうどちらかといえば不審者のような患者でした。

でも、隔離の解放時間に一人で折り紙折っていたら🐻Drや看護師さんが褒めてくれたり。看護助手さんが笑わせてくれたり、担当看護師が手紙くれたり、昔から知っている患者さんの輪の中にひょんなことから入って可愛がってもらったり……

そんなこんなで安心できるところや人、認めてくれる環境が出来ました。

 

 

しゅごキャラのOPの歌詞やこのブログのタイトルにもある通り

「なりたいようになればいい」

それができるところをいつになってもいいからできると思う。

地球(世界)っていろーーーんな人いるから、探してみるとたくさんあるかもしれません。作れるかもしれません。それを探すのが、作るのが大変なんですけどね。選択肢はたくさんあるよ、ってことです。

 

 

なりたいようになっても良識は持って活き活きと生きれるところを…。

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

 

れい

 

 

 

がっこうなのかな

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こんにちは、れいです。

 

数日放置していました、あまり調子が良くないのです。

 

 

 

 

相変わらず、診察は週1で予約してもらっています。主治医には本当に頭が下がります。そして一昨日の診察待ちの時に病棟の看護師さんにお手紙を渡しに来ました。病棟上がった時に私の苦手な看護師が出てこなくて安心しました。優しい看護師さんが散歩付き添いで出てきて代わりの看護師さん呼んでくれて来た看護師さんが担当Ns②(男性)さんでした。少しお話しながら、「髪色良いじゃん、似合ってるよ!」と言ってくれたり、たまたま担当Ns②さんには書いてきてなくて「ごめーん!」と言いながら、他の看護師さんへの手紙託してきました。

 

 

ここ1ヶ月、様々なことに対し積極的に活動していたことや寒暖差に弱い体質で心身ともにお疲れです。調子が良くないと前述しましたが、「疲れている」がの方が表現はしっくりくるんですよね。でも、疲れているから不調を来たしているわけで。うん、似たようなものですね。

 

様々な出来事もあり疲れているというのは事実で、解離したり、幼児退行状態になったり。

 

最近はもう心が5歳児の気分でして。(あ、これ書いている今は通常モードですからね)

だいたい自宅だとまあ、精神年齢幼くなるタイプなんですけども、昨日なんて1日中幼稚園児気分でした。解離しているわけではなかったので服薬とかはかろうじてできました。迷惑はかけてないし別に心身の疲労とかの表れなのでもう仕方ないし、ある意味正常と考えてるので「あー最近自分はバブ化してんなぁ、疲れてるんだなぁ~」と思うので気持ち的にはダメージも後悔も否定も無いんですね。退行しているときの心と体と脳内がちぐはぐすぎてなんとも言えない気持ちにはなりますけど…。

 

退行状態は少数派であっても仮に健全でないと思う人がいても複雑に心や体その他が絡み合ってる人間の仕組み的には正常だと思っています。

 

これを読んで「本当に苦しんでいる人に失礼」とか「嘘」と思われようが「痛いwww」と思われようが読者がどう思ったかなんて正直それは知ったことじゃないのでどう思われようが構わないです。

「どうぞご自由に」精神です。

 

TwitterInstagramも見ていて様々な人がいるのは当然ですが、価値観の違いや見ている感じている世界の違いと言ったらそれまでです。

つらいことか過去や苦しみを比較や一緒にされたくないとか文句言う割に同じことしている人多いなぁ、って思っちゃう。親しい人は例外、とかね。いや、私も然りです。

まあ、それが表現の自由でもあるし犯罪ではないから口を出す案件でもないけど、まあ、これも私の感性と表現。

 

他人の事情なんて知らないからお互いのこと潰し合わなくてよくない?と。

闘病界隈でありがち「嘘っぽい」「苦しんでいる/つらい人に失礼」とか、同じこと言われたら自分だっていやな思いするでしょう。その発言に悪意があっても無くても。

それに縋らなければ乗り越えられない事とか背景(環境)があるのでは…と。

「つらい/苦しい」を勝手な推測や干渉で比較や否定するのも違うのかな、と。

これは誰かに向けたわけでもないし、自分にも自覚があること。

認め合うのって理想だけど、千差万別たくさんの人間がいる中で価値観合う人や合わせに行くのって労力いるし、そもそもそれは違うし、もうしょうがないですよね。認め合えていたらいじめや戦争なんてないですよね。

全人類みんなコウペンちゃんじゃあるまいし。

 

 

TwitterInstagramと距離置いたり、アカウントは残すけれど、このまま長期間やめようか迷っています。この意思がいつまで続くかは私次第なのですが。

今後はブログ更新のツイートする際に通知見るくらいかな。

SNSスマホの中の「学校(教室)」に思えてしまうんですね。

なので、もういいかな、なんて思ったり。それで私の中の色んなことが左右されるのももったいないし、生きづらい現実を生きやすくしているのに生きづらい世界は現実世界で充分だわ。

 

「それはあなたが私よりも恵まれているからそう思えるんだよ」って思う人もいるかもしれないけど、よく考えてみて、それと同じことを言われたとしたら「あなたは私の何を知っているの」ってなるでしょう。

そういうことです。他人がなんて言おうが思おうが最終的に

「そういう人もいるんだな」

で流せればいいんじゃないかな、なんてね、思うんですよ。

少なくとも私はこういう人なので。ぴーす。

 

 

休息入院までぼちぼち頑張りますかぁ。

 

 

読んでくれてありがとう

 

 

 

 

れい

 

 

考えなくてもいい

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こんにちは、れいです。

 

最近、モップくんを抱きながらPCを開きブログを日課にしようとしている私ですが、いつまで続くのでしょうかね。

続くかは別として、文章作るのは楽しいし、何より、PCのタイピングが好きなので楽しくて今のところ続いている、ってな具合。楽しいこと、見つけていこう。

 

 

大抵、ブログ投稿するときは本当にノープランで記事作成画面開いてから書いています。書きながら何か書こうかな、と書き始めてから文章を修正していくタイプです。

あらかじめ考えて書く方が話の脱線は少ないかもしれないけれど、考えたところでその通りに書かない末路は見えているので、ノープランです。仮に考えてその通りに書こうとしたとしてもですよ、それに意識しすぎて疲れ果てるか苛立ちが出てしまう気がするので無計画の方が気が楽です。別に仕事でもないし。一つの趣味なのでね。

まあ、もっと言ってしまえば、内容とがブログ云々よりも何か理由見つけてタイピングできるのが楽しいんで、タイピングできればもう満足です。

タイピングが好きなのとタイピング音(キーボード叩く音)が好きなんで、それだけで楽しいです。

 

 

そういえば、なのですがね、あと2週間で退院して半年になります。

2か月ぶりに大好きな看護師さんたちにお手紙書きます。いや、もう書いています。まだ書きたい人は何人かいるけれど。この半年は年金の申請やら日中活動先探したり…まあ、色々と頑張ってきたわけです。時々不安定になりながらも、色々な事進めてきました。本当は休みたいけど、ここ数年の私の入退院で家の経済(金銭)面が危ういので、年金受給出来て、その他の必要な公的、金銭手続きが終わったら、自分の金銭面と相談しつつ休息入院を考えています。

現在はそれなりにメンタル面は安定しているのですが、主治医の🐻Drにも「安定していても休息入院希望すれば許可する」ということを確認済みで治療方針でもあるので。今週の診察で伝えてみてOKでたら休もうと思います。まだ、私には休息入院という手段は必要です…。

 

まあ、イレギュラーの異動で別病棟から大嫌いな男性看護師がいるけど、そのことは主治医にも病棟看護師長にも元プライマリーの2人には伝えてあるので何かあったら対応してもらえると思うので安心です。

その男性看護師的には病棟での私の振る舞いはきっと色々言いたくなるでしょうし、気に入らないと思います。その看護師の性格からして絶対イチャモンとエゴな説教してくるのは目に見えてるけれど、主治医も病棟看護師たちもその私を受け入れてくれてるから我慢しません。それに元プライマリーも「何か言われてりした時は遠慮なくすぐに言って。お互いのためにもちゃんと対応するからね!遠慮しなくていいから!」と言ってくれているので実質私の勝ち(?)

 

なんていうかやっとその入院病棟で安心感や信頼感が持てる病棟に出会いました。

 

 

 

休みに行くまで、もうひと踏ん張り頑張れちゃう!!!!!!!

 

 

読んでくれてありがとう!

 

 

 

 

れい

共有したいね

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こんにちは、れいです。

昨日から風が強すぎてビビりながらもビビっていないフリをしている私ですが、普通に怖いですよ。音が。聴覚過敏の天敵ですよ。でも、自然(天気)には抗えないですよね。私が天気の神様に交渉することができたなら、風をもう少し弱くしてほしいとお願いしたいですね。

 

 

あ、まあ、こいつは何を言っているんだ、状態ですよね。

あはは。

 

最近、パソコンでブログ書くことやパワポ(PowerPoint)でヘルプカードや喘息マーク作ることにハマっています。ハマっているというかまあ、創作ってやつですかね。

将来的にいつかは「MOS」を取得したいとは思っていますが、勉強嫌いな私はいつ意を決して着手しようか、かれこれ3年くらい躊躇っています。まあ、焦ることはないか。

基本的に適当に操作しています、なんとなくで。本当に分からないのはGoogle先生に教えてもらって、ね、やってますよ(検索です)

パワポは何故か中学生の技術の授業で数回やりましたが、記憶キャパ少ない私は当然ですが覚えているわけもなく、まあ、何となくですよ。案外できるものです。

 

私は家族の中で一番機械強いです、逆を言えば私以外の家族は機械関係弱いです。

私が強いのか家族が弱いのか、まあ、どっちもですね。

でも、機械関連は私に向いている、得意分野!

つまり、私の一つの才能だと解釈します。

 

んなことは良いんですよ。向いている向いていないにしろ、才能と思うにしろそれは私の価値観だし、自由なのでそこは置いといて…。

「楽しめること」という部分が大事なのかな。きっと。

 

「楽しい」って素敵な感情表現だよね。それが相互的に感じているかは別問題で。

周りの人に身近な人に、「楽しい」の ”強要” ではなくて、 ”共有” していきたい。

 

 

なんか楽しいこと探したいなぁ。見つけに行きたいなぁ。

今度、大きな公園に行こうかな~と思ったけれど、不要不急だし、リスキーだなぁ…まだ様子見でっ!!!!!!!!

 

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

れい

 

 

 

 

私の世界の言葉

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こんばんは、れいです。

7年前から使っているキティちゃんの抱き枕がくたくたで萎えていたのでホビーオフで抱き枕探ししていたら、まさかの私の推しのサンリオキャラクターのモップくんの大きいぬいぐるみが…!!( まるもふびより と検索すれば出ます!是非とも!)しかも500円。いや、それなりに抱きやすい大きさだったので、買っちゃいましたね!それは今日の幸せ3つ目くらいでした。他にも幸せありました。

 

あ、まあ、幸せを書いてたら、いつも通り力尽きて今日更新できなくなるから

〈 割愛!!!! 〉

 

 

本題にいきますか。果たして、うまくまとめられるでしょうかね…

 

人と関わることや話すことは好き。とても好き。何を隠そう、私は根っからの末っ子気質(実際末っ子)なので甘えん坊の寂しがり屋でかまちょなんですよ。

これはリアルな私を知っている人、つまりは友人ならば9.9割の首を激しく上下し否定する人はいないと思う。友人からでなくても恐らく関わりがあまりなくても身近にいたことがある人にもそう見えていると思います。

 

何気ない、そして他愛もない雑談も好き。話すのって楽しい。

好きなのだけれど、 ” 苦手 ”

「話す」分野は私にとって楽しいけど、好きだけど

 

『コミュニケーション』

『表現(表出)』

『脳内での情報処理』

 

でとても苦手なのですよ。

楽しいけど疲れる、楽しいけど情報の渋滞、楽しいけどストレス

好きなのに苦手。

 

まあ、恐らく、対人コミュニケーションで全く疲れない人なんて世の中にそうそういないのだろうけど。

 

発達特性や過去の経験が絡み合って、自己理解が進んで自覚しているからこそ自覚しすぎて余計に疲れちゃうのかもしれないけどさ。

無自覚は無自覚のつらさはあるでしょう、当事者でもありがちな「○○して(でき)るだけいいじゃん」とかまあ、当事者に限らず比較やないものねだりは発生するけど、自覚しているからこそ調子の見極めとか対処法とか求められがちだから自覚しただけでは良し悪し付けられるほど解決にも苦労が消えるわけでもない。

 

少し話が脱線したけど消さずに軌道修正しましょう、話戻しますね。

 

話し言葉」が苦手なのも少しずつ緩和されていますが、まだまだ課題がある分、言い換えるならまだまだ伸びしろがあるんですよ。ゆるく成長していこうと思うのでまあ、気にしません。

 

 

一方、私は「文章を書くこと」はとても得意です。

要するに「話し言葉」の逆です。

 

 

思春期病棟入院時にノートで思ったことを書き、それを病棟看護師さんに読んでもらったら「れいさん、とても分かりやすかったよ!文章書くの上手いね!思っていたこと伝わったよ!」褒められ、退院後の診察も思ったことや近況を話そうとするも言いたいことを忘れてしまったり上手く伝えられずパニックになることも頻繁にあり、当時の主治医(女医さん)が「言いたいこと紙とかノートにに書きだして持ってきたら?入院中も看護師さんが褒めていたし、そっちの方がれいさんに合っていると思う。」と言われ高校生くらいから通院や入院問わず、診察やカウンセリングでも言いたいことをノートに書いたり、入院病棟では携帯が使用できなかったので友人と文通したり…その文通が趣味になったり…

 

と、まあ、 「文章」での言葉 が向いていたのとそれが趣味や楽しいと思うようになったのですね。

 

ここ数年は入院すると入院病棟の看護師さんたちに毎回お褒めの言葉いただきますし、元主治医にも、今の主治医🐻Drにも、入院病棟で担当してくれたDrにも「文章書く能力」はガチ褒めしてくれるので、私の能力面での財産の一つね。宝ですね、ぴっかぴかの。

 

私の頭の中は常に色々考えています。言葉でぐるごちゃ。

それに私って文章にしても話し言葉でも表現に癖があったり口悪かったり。

(補足:口悪いのは暴言とかではなく表現が荒いということです)

 

でも、これが私の世界の言葉。

 

みんなだってそうでしょう?

人はみんな同じ世界に生きてるようで違う。

 

 

国が同じでも地域が違う

地域が同じでも家は違う

血が繋がっていても繋がっていなくても

「自分」として生きる人は違う

同じ病気でも同じ病院でも

みんな全て同じ症状で悩んでいるとは限らない

 

私の世界は、私の世界(所謂価値観など諸々)の言葉はこれです。

 

書きたいこと迷走するのも含めて私。

 

前にも書いた通り、「わたしはわたし」を胸を張って言える世界であってほしいし、それに対して受け入れられる人が増えたらね、いいよね。

…とかいうのは簡単。でもそもそものスケール大きすぎるし、一つの「理想」に過ぎない、現実的ではない。せめてそういう社会になる未来がAIに侵略されるといわれている未来の前にできていれば嬉しいですよ、私は。

 

夢や理想を持つ、語ることは犯罪ではないから許して!

 

 

言葉を宝にしていきたいね。自分にもできたら周りの人にもさ。

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

 

れい

 

『 みんな違って みんないい 』

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こんにちは、れいです。

昨日の書き途中の記事はこれです、今日で書ききれますように。


 

 

 

 

YouTubeで昨日見逃した「坂道テレビ」を流しながらこのブログを更新しています。(と書いたのは昨日なのですが…)

私は乃木坂と日向坂が好きです。今でこそ坂道ヲタですが、昔はAKBやももクロが好きでした。根っからの女性アイドルヲタです。

 

この話はこの記事の後半に話が繋がります。

 

 

初投稿の記事に私は「自閉症スペクトラム障害」であることを書いたと思います。

中学2年生から不安障害などで現在の通院先に通院や入退院をしていく中で高校3年あたりで診断されました。つまりは二次障害からの通院でした。

 

確かに振り返ってみれば私は幼少期から診断されてはいないものの、幼稚園での生活も先生方のサポートありきで成り立っていたり、小学生になるときは習い事で空手をしたり、ランドセルを黒にする・・・など。今でこそ「多様性」という言葉がありますが、日本を象徴する文化である「協調性」の壁、それによる固定概念。習い事も、ランドセルの色も個性的と言われればいい方ですけど、私の小学校の生徒たちの特色や「多様性」という言葉が浸透していない当時は「個性的」という感性には当てはまらなかったようで…。

空手は1つ上同じ地区班の上級生数名に「空手少年!wwww」などといじめられていました。当時の私は嫌な気持ちしたし、否定された気持ちや悔しい気持ちになりました。習い事は何をやろうが私の自由なのに、それで迷惑かけているわけでもないのに年上の生徒たちにいじめられたり。

ランドセルも低学年の何となくみんな仲良しな年齢では「かっこいいね!」でしたが、3年生の時のクラス替えで隣のクラスの気の強い生徒たちにいじめられてからはランドセルの色も含めていじめられました。

 

好きなものを否定されている感覚。

 

ランドセルに関しては購入時に姉が「いじめられるかもよ」と忠告してくれていたみたいですが、そもそもその記憶を覚えていなかったのと、きっと当時の私のこだわりでもあったのでしょう聞き入れなかったそうです。

5年生に進級するときに姉が中学に入学したので姉が使用していたローズピンクのランドセルを使っていました。

 

上記のアイドルが好きな話も…

私の学校、特に私のクラスの女子の大半は当時、嵐ファンやHEY!SAY!JUMPファン、俗にいう「ジャニヲタ」が多く、カースト上位の女子生徒が多かったのですが、もう一人いじめられていた女子生徒がそこまで興味なかったはずなのにいきなり嵐ファンになったのです。本当に興味を持ったか、と言われたらその女子生徒とは6年間同じクラスだったのと私のクラスの風潮的にも女子生徒の性格的にもカースト上位の子に合わせに行っているのは明らかでした。

 

ジャニーズ派ではない、むしろ女性アイドル派は私だけしかいない、そして女子なのに女性アイドルが好きなのが話が合わないのはもちろんのこと、奇異な目で見られていました。

 

 

様々な物事で私は浮いた存在でした。

 

 

私は黒いランドセルを選んだことは後悔していません。むしろ、選んでよかったな、と思っています。

空手も楽しかったし、一つの経験にもなりました。

女性アイドルが好きなのも私の自由だし、そんなの男女関係ないです。

ただ、自分の好きなことや人の好みを他人に否定されることがつらかった。悔しかった。

 

それで周囲や人様に迷惑かけたり犯罪なら批判されても致し方ないです。

 

でも、「みんなと違うから」「私はそうは思わないから」という理由でいじめや否定をするのってとても悲しいこと。

あなたにとっての「正義」「協調性」だったとしても、同じことをされたらどんな気持ちになるか、だげではない。否定されたことによる感情や傷つき(トラウマ)はもちろんですが、違う価値観だから、と、その否定したことが相手やはたまたどこかの誰かの「大切」な「学び」や「人生経験」であること。

 

みんな違うのは当たり前。違う価値観や人生だからこそ見つかることがある。

人に無理に合わせることや否定することが正しいとは限らないし、だからこそ発見や視野が広がる。

 

 違う価値観を「理解しろ」「肯定してよ」とまでは言わない。

「そういう考えもあるんだな」程度でいいから、肯定や褒めたりすることは二の次でいいから、せめて否定やはじき出すことは せず、「わたしと小鳥と鈴と」を思い出してみてほしい。

 

 

『 みんな違って みんないい 』

 っていう文化になるといいな。

 

 

 

 

読んでくれてありがとう。

 

 

 

れい