私の世界の言葉
こんばんは、れいです。
7年前から使っているキティちゃんの抱き枕がくたくたで萎えていたのでホビーオフで抱き枕探ししていたら、まさかの私の推しのサンリオキャラクターのモップくんの大きいぬいぐるみが…!!( まるもふびより と検索すれば出ます!是非とも!)しかも500円。いや、それなりに抱きやすい大きさだったので、買っちゃいましたね!それは今日の幸せ3つ目くらいでした。他にも幸せありました。
あ、まあ、幸せを書いてたら、いつも通り力尽きて今日更新できなくなるから
〈 割愛!!!! 〉
本題にいきますか。果たして、うまくまとめられるでしょうかね…
人と関わることや話すことは好き。とても好き。何を隠そう、私は根っからの末っ子気質(実際末っ子)なので甘えん坊の寂しがり屋でかまちょなんですよ。
これはリアルな私を知っている人、つまりは友人ならば9.9割の首を激しく上下し否定する人はいないと思う。友人からでなくても恐らく関わりがあまりなくても身近にいたことがある人にもそう見えていると思います。
何気ない、そして他愛もない雑談も好き。話すのって楽しい。
好きなのだけれど、 ” 苦手 ”
「話す」分野は私にとって楽しいけど、好きだけど
『コミュニケーション』
『表現(表出)』
『脳内での情報処理』
でとても苦手なのですよ。
楽しいけど疲れる、楽しいけど情報の渋滞、楽しいけどストレス
好きなのに苦手。
まあ、恐らく、対人コミュニケーションで全く疲れない人なんて世の中にそうそういないのだろうけど。
発達特性や過去の経験が絡み合って、自己理解が進んで自覚しているからこそ自覚しすぎて余計に疲れちゃうのかもしれないけどさ。
無自覚は無自覚のつらさはあるでしょう、当事者でもありがちな「○○して(でき)るだけいいじゃん」とかまあ、当事者に限らず比較やないものねだりは発生するけど、自覚しているからこそ調子の見極めとか対処法とか求められがちだから自覚しただけでは良し悪し付けられるほど解決にも苦労が消えるわけでもない。
少し話が脱線したけど消さずに軌道修正しましょう、話戻しますね。
「話し言葉」が苦手なのも少しずつ緩和されていますが、まだまだ課題がある分、言い換えるならまだまだ伸びしろがあるんですよ。ゆるく成長していこうと思うのでまあ、気にしません。
一方、私は「文章を書くこと」はとても得意です。
要するに「話し言葉」の逆です。
思春期病棟入院時にノートで思ったことを書き、それを病棟看護師さんに読んでもらったら「れいさん、とても分かりやすかったよ!文章書くの上手いね!思っていたこと伝わったよ!」褒められ、退院後の診察も思ったことや近況を話そうとするも言いたいことを忘れてしまったり上手く伝えられずパニックになることも頻繁にあり、当時の主治医(女医さん)が「言いたいこと紙とかノートにに書きだして持ってきたら?入院中も看護師さんが褒めていたし、そっちの方がれいさんに合っていると思う。」と言われ高校生くらいから通院や入院問わず、診察やカウンセリングでも言いたいことをノートに書いたり、入院病棟では携帯が使用できなかったので友人と文通したり…その文通が趣味になったり…
と、まあ、 「文章」での言葉 が向いていたのとそれが趣味や楽しいと思うようになったのですね。
ここ数年は入院すると入院病棟の看護師さんたちに毎回お褒めの言葉いただきますし、元主治医にも、今の主治医🐻Drにも、入院病棟で担当してくれたDrにも「文章書く能力」はガチ褒めしてくれるので、私の能力面での財産の一つね。宝ですね、ぴっかぴかの。
私の頭の中は常に色々考えています。言葉でぐるごちゃ。
それに私って文章にしても話し言葉でも表現に癖があったり口悪かったり。
(補足:口悪いのは暴言とかではなく表現が荒いということです)
でも、これが私の世界の言葉。
みんなだってそうでしょう?
人はみんな同じ世界に生きてるようで違う。
国が同じでも地域が違う
地域が同じでも家は違う
血が繋がっていても繋がっていなくても
「自分」として生きる人は違う
同じ病気でも同じ病院でも
みんな全て同じ症状で悩んでいるとは限らない
私の世界は、私の世界(所謂価値観など諸々)の言葉はこれです。
書きたいこと迷走するのも含めて私。
前にも書いた通り、「わたしはわたし」を胸を張って言える世界であってほしいし、それに対して受け入れられる人が増えたらね、いいよね。
…とかいうのは簡単。でもそもそものスケール大きすぎるし、一つの「理想」に過ぎない、現実的ではない。せめてそういう社会になる未来がAIに侵略されるといわれている未来の前にできていれば嬉しいですよ、私は。
夢や理想を持つ、語ることは犯罪ではないから許して!
言葉を宝にしていきたいね。自分にもできたら周りの人にもさ。
読んでくれてありがとう。
れい