人生という名のゲーム
こんばんは、れいです。
本日は早起きしました。長年乗っていた自家用車を買い替えまして、自宅から2時間ほどの場所の販売店へ慣れない道を母が運転するので、早起きしました。6時半前に目が覚めました。昨日の早寝が功を奏しました。昨日の自分に拍手。
ちなみに私は運転免許を取得する予定はないです。私のキャパや集中力注意力からして自分でも不安しかないし、事故を起こす可能性も否定できない。自立しても駅近の利便性の良い所に住むつもりなので、運転しなくて済むような東京に住もうと思います。
さて、これは余談です。
人生はゲームと思っています。機能が限られているゲーム。
な、気がする。
これはよく🐻Drとも話す。
『人生は無理ゲー』
まあ、その発言とは別で私が思うこと。
様々な部品が組み合わさってゲーム機が製造される、でもその時からどのような人が持ち主なのか分からない。どのような環境で扱われるのかも分からない。
何かしら理由があって別のゲーム機を買ったり、手放したり、とかさ。扱いが酷いと八つ当たりとか壊されたりとかね。
ゲームソフトは心とか、ゲームデータは記憶にあたるのかな。
さまざまなゲームストーリーがある。操作方法で思うようにならなかったり、嬉しいことがあったり。はたまた悔しいとか苦しい思いしたり。環境に適応しようと、役割を全うしようする、とかね。でも、すべてのゲームソフトがゲームの終わりが見えていたり、設定されているわけではない。途中でセーブができないゲームだ。飽きてしまっても嫌気さしてもリタイヤが思うようにできない。疲れ切ってpauseをしているときに充電されてリタイアなんて簡単にできない。リタイアが出来たらもうそういう事であるが、それは一握りのプレイヤーしか成功できない。
思うようにできないゲームをどう楽しむか、ずっとやり続けるなんてゲーム機もソフトも壊れてしまう。
壊れないという過信とかさ、
誰かがゲームを何とかしてくれるだろうていう期待とかをさ、
少しずつでいいから減らして、どのタイミングでスリープモードにして休憩するか。その休憩で見えること感じることがあったりするかもしれない。
思ったようにいかない無理ゲーすぎるゲームをリタイアするとかボロボロになる前に、休憩や仲間を見つけたり、カスタマイズとかカバーやケースで守ってあげたり。
まあ、なにが言いたいかというと、なにか分からないんですけど。
無理ゲーなりの使い方があるんだよ!
……あ、これはあくまで私の解釈なので
言葉や文章書くのが好きで思いつくけど、要約が苦手なポンコツなれいですけど、ここまで書いたことに意味はあるんだよ!いや意味はあるし見つけていこう!!
楽しめばいいんだよーっ!楽しむよ!
これに限らず様々なことに対してね。
・・・指先が冷たすぎてもう頑張れないので温まりに行きます、ヒーターが最強なのよ。
読んでくれてありがとう。
れい